本日で10年、東日本大震災の東京での記憶

時事問題

3月11日の今日は特別の日。2011年3月11日午後2時46分に三陸沖を震源とする国内観測史上最大となるマグニチュード9・0の大きな地震が起きました。死者・行方不明者2万2200人に上る戦後最大の災害となった東日本大震災は2021年の本日で10年になります。改めてこの震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。

当時、被災地はもちろんの事、私の住む関東でも大きな混乱に陥ったことがまだ記憶に鮮明に残っています。

私が東京で体験した東日本大震災

当時、私は東京の板橋区で仕事をしていました。その日のその時刻は、得意先との打ち合わせが終わり、地下鉄の都営三田線で会社に戻る途中でした。電車の中で地下にも関わらず、これまで経験したことのない大きな揺れに襲われ、電車内もこれまで経験した事のない悲鳴を耳にしました。電車は無事でしたが、次の駅である水道橋駅で電車は停車。そのあとは動かないとの事で、渋々出口に向かいました。
地上にあがると人が溢れかえっていました。会社に電話しようとしましたが、携帯電話は不通。その時使用できたのは、なんと電話ボックス。長蛇の列ができていましたが、会社への連絡と何より家族が心配だったので、臆せず列に並びました。会社、そして家の奥さん、子供も無事との事。とりあえず一安心したので、次はどうしようかと考えましたが、とにかく交通機関が動いていないとの事で、しかたなく板橋の会社まで歩く事に。2時間かけなんとか会社に辿り着きましたが、電車が動いていない以上、帰宅する事ができないので、その日は会社に泊まることに。会社の仲間とコンビニで夕食を買い、会社で過ごしました。会社のパソコンで震災の情報を見ていました。そこには、これまで見たこともないような津波の動画が公開されていて、今回の震災の大きさを改めて体感しました。
朝になり、コンビニに朝食を買いに行ったのですが、ここでこの震災の混乱の入り口を見る事になりました。これまでの人生で初めて体験したコンビニで売られている食品がなくなっている状況。道路は大渋滞の状態が続き、映画などでパニックが起きた時のシーンが現実に起こっていました。

 

関東でもしばらく続いた混乱

次の日、夜にようやく帰宅する事ができました。奥さんと息子の顔を見て、本当に安心しました。そして、奥さんから話を聞くと自宅周辺のコンビニやスーパーでも食品がなくなってしまっているとの事。とにかくパンとカップ麺はどこにも売っていなく、他の食品も物流がとまったことににより、どんどんなくなっていきました。物流が止まった事により、混乱を極めたのがガソリンスタンド。ガソリンの金額は跳ね上がり、それでもガソリンスタンドに大量の車が並んでいました。そして次の日、会社に行こうと思っても、電車が止まっていて、行くことができませんでした。午後になり、ようやく動き出し、出勤した事を覚えています。こういった状態が1〜2週間続き、徐々に、本当に徐々に、通常の生活に戻っていった記憶があります。

 

10年経った今、新しい混乱

そして10年が経ちました。流通や食品など関東は普通になりましたが、新たな混乱として、現在では世界中で新型コロナウイルスが猛威を奮っています。緊急事態宣言も解除されていないこの状況の中、東日本大震災から10年を迎えるわけです。テレビやラジオ、ネットや新聞などいたる所で本日はこの震災のことばかりだと思います。しかしそれくらい、決して忘れられない記憶が刻まれた大きな出来事。

冒頭でも伝えましたが、もう一度、改めてこの震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。

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