『Fallout3』経験者が続編『4』を批判してしまう理由とは?

サブカル

前回、まったく関係ない記事から、『Fallout 3』を紹介しちゃったので、今回は個人的に超名作である『Fallout 3』について紹介します。ネットでよく見かける『4』より『3』の方が面白いという意見について超個人的な解釈で紹介します。

 




 

目次

『Fallout 3』について

現時点での最新作はオンラインゲームとなった『Fallout76』ですが、アレは続編とかそうゆうのではなく、単なるスピンオフと考えて(考えたい)、通常版の最新作は2015年に発売された『Fallout 4』になるかと思います。今となっては『Fallout 4』もかなり古くなったため、中古ショップなどでもエラく安い金額で売ってたりしますが、『Fallout 4』も名作。かなり面白いオープンワールドのRPGです。ですが今回はそんな『Fallout 4』よりもさらに前の作品となる『Fallout 3』について紹介します。
なぜ、そんなに『Fallout 3』について紹介したいかというと、私が初めてプレイしたオープンワールドのRPGだったため、その衝撃が忘れられないからです。『Fallout 3』はすごく昔にパソコンで発売されていた『Fallout』というゲームの第3作目。ユーザーから高い評価を受けたRPG「エルダースクロールIV:オブリビオン」を製作したベセスダからの発売という事で、かなりの期待が寄せられた洋ゲーのRPGでした。舞台は核戦争後のアメリカで、荒廃した世界を自分の父親を探しながら、生き抜くというのが基本ストーリー。その他に本筋とは関係ないサイドクエストがたくさん用意されていて、街の人にうかつに話しかけると突然クエストが発生したりし、やりたくなければほっといてもいいというのはその後のシリーズにも継承されています。私は当時Xbox360でプレイしたのですが、今では割と当たり前となっている大型DLCで新しいマップを追加したというのも、私にとっては『Fallout 3』が初めての経験でした。また一度クリアしてからも、2周目をプレイするとまた新たな発見があったり、『Fallout 4』ではなくなってしまった「カルマ」という設定があり、主人公が行った行動が善人なのか、悪人なのかでその後の状況にも大きく影響があったりと、独特な魅力が満載でした。残念なことに、当時PS3版でプレイするとフリーズしまくってまともにプレイできないという話も有名になっていて、プレイする機種ではその印象が大きく変わる作品でもありました。

 

『4』より『3』が良かったと感じてしまう理由

『Fallout 3』をプレイした人は『Fallout 4』より『Fallout 3』の方が面白かったと感じてる人が多いようです。それは私も感じています。ただ『Fallout 4』も非常に面白いゲームですし、グラフィックに関しては圧倒的に『Fallout 4』の方が上だし、拠点のクラフト要素は『Fallout 4』でしかないシステム。『Fallout 4』も充分名作なんです。じゃあ、なんで『Fallout 3』の方が面白かったと感じてしまうかというと、思い出補正も大きいと思いますが、おそらくですが、主人公の設定と目的の違いが大きいのかと思います。『Fallout 4』の主人公は男性の場合は「父」で、女性の場合「母」としてスタートします。つまりある程度大人になった成人なわけです。核の被害を逃れるため、シェルターであるVault111でコールドスリープの間に攫われ、行方不明になった自分の子供を探すという物語なのです。一方、『Fallout 3』はなんと自分が生まれるシーンからスタートし、幼少期でステータスのパラメーターを設定し、チュートリアルをしながら主人公の成長過程が描かれ、18歳になった時に事件が起こります。これまで決して開く事のなかったVault101の扉を、自分の父が開けてしまい、その父を追ってそれまでVault101の外を知らなかった主人公が、生まれて始めて外の世界へと出ていくのです。この辺りが同じようで『3』と『4』では大きく違います。それと『Fallout 4』の主人公は、選択肢を選ぶとそれにあったセリフをボイス付きで喋ったりしました。一方、『Fallout 3』は選択肢を選ぶだけで、主人公は一切喋りません。攻撃を受けた時に「ウウッ!」とかうめき声は出しますが、セリフをしゃべることはありませんでした。ああいったキャラメイク作品ではこうした要素が意外と大きいかもしれませんね。『Fallout 3』は『Fallout 4』よりロールプレイしやすい主人公でした。また、物語も『Fallout 4』のように派閥に分かれなくてはいけないという要素もなく、すっきりエンディングを迎えられたのが大きいかもしれません。

 

『Fallout 3』で経験した衝撃

私が『Fallout 3』をプレイして一番衝撃を受けたのは、とあるサブクエストでした。それはテンペニータワーという場所で受けたクエストでした。テンペニータワーという場所はテンペニーという人間が仕切っている大きな建物で、そこでは普通の人間とグールが対立していました。この世界のグールは敵としても登場しますが、基本的には核爆発による影響で、遺伝子が変質した人間の総称の事を言います。見た目は化け物ですが、中身はそのままの人間。でもその外見から差別されている人達でした。そんなグールたちが、自分たちもこのテンペニータワーに住まわせてくれ!という主張をしていて、テンペニータワーに住む割と貴族な人間たちがそんなの冗談じゃない!といっている所からクエストが始まります。人間側かグール側のどっちの味方になるか?というのがメインのクエストだったんですが、会話の選択肢の中に確率で説得することができるものがあったので、ロードを繰り返しながら説得が成功するまで挑戦し、人間もグールもこのテンペニータワーで共存することができる結末を迎えることができました。このサブクエストでいえばベストエンドだと当時の私は思っていました。

その後、メインクエストや他のサブクエストをこなしていて、テンペニータワーのクエストから大分たった頃、別のサブクエストを受けました。その内容は指定する3名を暗殺してくれというもの。その3人の中には、あのテンペニーの名前がありました。そしてそのクエストを受注した瞬間、「テンペニーはもう死亡している」というメッセージが画面に表示されました。ん?なんで死んだんだ?どうゆうストーリーなんだ?と不思議に思い、久しぶりにテンペニータワーに向かいました。するとテンペニータワーにはなんとグールしか住んでいないのです。グールのリーダーのロイに他の人間たちはどうしたのかと質問をした所、「あいつら気に入らなかったから、みんな殺してやった!(うろ覚え)」みたいな事を言うのです。その時に衝撃を受けたのです。プレイヤーが“これが正解”だと思ってたいた選択の結果、その後もその場所では物語が進んでおり、結局そんなにうまい話はなく、主人公が関与しない所で、結局争っていたのです。このプレイヤー側の偽善というか、事なかれ主義というかの選択の裏をかかれたようなゲーム。正直、すごいと思いました。よく物語の展開とかで衝撃を受けることはあるのですが、こんなサブクエストで私の心の裏を読んでくるとは・・・。私の偽善的な選択のせいで、テンペニータワーの人間たちは殺されてしまったのです。後にも先にもこんな感情になったゲームはありませんでした。

本当はもっと語りたい事があるのですが、すでにかなりの文字量になってしまっているので、今回は一旦ここで終わりますが、語り尽くせないくらい『Fallout 3』には他にない魅力がありました。こうゆう人の内面まで読むようなクエストは『Fallout 4』にはなかったので、私の印象は『Fallout 3』の方が強烈なのかもしれません。以前、『Fallout 3』のリマスターの噂もあったのですが、最近はめっきり聞かなくなったので、なくなったのかもしれませんね。いざとなったら、家の奥に眠るXbox360を引っ張り出して、いつかまたプレイしいたい!『Fallout 3』はそんなゲームでした。

今回は以上です。

 

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